法事を終えて家族でくつろいでいた夜、お世話になっている方に男の子が生まれたおしらせを見て、死んでいく人も生まれゆく人もいるんだなぁってじんわりきたとぅでい。
ニヤッとした顔の父の遺影は、はとバスのキティちゃんの隣で母が撮ったものです。
最後はモルヒネを使って、誰のことも分からなくなって亡くなった父ですが、携帯に残った写真やメールとか、オンラインアカウントのこと(パスワードが分からないのです)とかを考えるたび、本人にそのこと – 麻薬を使って、意識が朦朧として行くことを伝えなかったのは、正しい選択だったのかなって未だに思うことがあります。
色んな人に自分からお別れを言いたかったんじゃないのかな、とか。父本人しか連絡がとれない人とか、きっといたかもしれないし。
私自身も、いままでのこととかぶつかった思い出とか話したかったかもって、今になって思うのです。
私がいま突然死んじゃったら、携帯のメールとかママに見られちゃうのかーとか。おばちゃんがfacebookに書いて知らせてくれるだろうけど、もう少し時間が経って、ひとりだったらどうなるのかな。とか。オンラインでの死って? とか考えた。
妹とは「この何年かでうっかりどっちかが死んだらパソコンの中身は見ずに物理的に壊して」って約束をお互いにしてるんだけどw
お経(35分間)との戦いでそんなことも真面目に考えつつねもくなり、昼間っからビール飲みながら天ぷらとか湯葉の鍋とか食べて、満腹になって帰ってきた法事でした。
額の中の父はやっぱり、いつも通りニヤッと笑っていました。
ご冥福をお祈りします
きっとお父様は幸せだった(と信じたい)と思う。
それはあたしが、ふみちゃんはちゃんとしたいい子だなーって思うから。
ふみちゃんにも色々あっても大丈夫。
安心して毎日を過ごしてね。