プチ被災日誌(長文)

「平成30年北海道胆振東部地震」という名前が付いたそうですが、みなさん大丈夫でしたでしょうか。私が住んでいるところは、札幌の地下鉄圏内では結構揺れた方だったみたいです。同じ札幌市でも、テレビで見る清田とか里塚とかはかなり大変みたいだけど、西の方はそうでもなかったりとかで、職場の人に聞くと自宅の被害のばらつきがかなりありました。

感じたことが色々とあったのと、わーって書いてスッキリしたいなって思いがあったので、書ける範囲のことを書き留めておこうと思います。どちらかというと情報まとめではなくて、自分のデトックスというかセラピー的なエントリです。

自宅の被害

もともと汚屋敷なのでモノが崩れたとかそういうのはちょっとよくわからないんですけど、スキャナプリンタがBDレコーダーを掠めながらラックから落ちたくらいでした。あと停電。停電は木曜日の夜あたりに復電し、一緒に落ちたBDレコーダーはなんとか無事でした。
けどプリンタが落ちてきたのって普段よく寝落ちしてるソファの上だったので、当日珍しくちゃんとベッドで寝てたんですけど、寝落ちてたらケガしてたと思う。

物の話をする前に反省をしたい

地震に関する記憶って三つあって、まず子供の頃に北海道南西沖地震(1993年)がありました。通ってた小学校の校門から玄関までの通路がモーセの十戒みたいに割れて、家が停電と断水になりました。夜は懐中電灯とロウソクで凌いで、日が出てからキャンプの道具を出して、ランタンをつけたり、給水車にジャグ持って並んで、ガスコンロで料理して、温泉入りに行って(道南には銭湯感覚の温泉が結構多いんです)、子供だったからなんかちょっと楽しいイベント気分だった。よく考えてみたらそれは両親がきちんと備えていたから、困って辛かった!って思いをあまりしなくて済んだんだと思う。
その後は岩手にいた頃に宮城県沖地震(2003年)があって、テレビデオが落ちてテレビの画面が一部強い衝撃を受けてしまい、買い替えるまで、天気予報とかで海の色(青色)がそこだけショッキングピンクになる不具合を抱えて過ごすことになりました。その時は大学の被害の方がびっくりして、古かった建物にでかいヒビが入ったんだよね。
そして3.11で自分の大学や東北の友達や、友達の家族が大変なことになったのに、どこかできっと、ちゃんと身に染みてなかった。
札幌地盤固いらしいし、津波ないし大丈夫でしょ~みたいな感じのナメた感覚がちょっとありました。本当に反省してる。今後の人生はこれを機にきちんとしていきたいと思います。常に万全とはいかないかもしれないけど、例えば毎年この地震の日に常備品を確認するとか。

あってよかったもの、なくて困ったもの

大学入って家を出た時に親に買ってもらった防災ラジオライトみたいな物があったはずなのにどっか行っちゃって、ほんとに困りました。準備して用意しておくべきだったまじで!

なくて困ったもの

①ラジオ
携帯にradikoアプリ入れてたので、停電初期はアプリで聴いてたんですけど、携帯各社の基地局が力尽きて圏外になった後のことは考えておりませんでした。
停電してた日の夜は妹宅で一緒に過ごしたんですけど、やっぱラジオで断水してるよ情報とか聞けたのは良かったですし、たぶんひとりで居て更に無音だったら心細くて泣きそうになったと思う。
どこのお店にもラジオがなくて、ヨドバシはラジオ付き目覚まし時計とでかいラジカセが少し残ってたくらいだったので、アマゾンで在庫あったAMのみラジオを9/8(土)にポチったんですけど、なんと本日9/13(木)に営業所に届いたのでこれから取りに行くところです。クロネコヤマトさん本当にありがとうございます。職場の人も電池をポチったら比較的早めに手に入ったみたいで、物が不足気味の今、意外にアマゾン様はいける&めちゃくちゃ助かる。郵便局留めにしておくとか営業所受け取りにするとかだったら頼ってもいいのかも…って思いました。

②保存水
うち、飲み物の買い置きがあまりなくてすごく不安でした。幸い水道のトラブルが自宅ではなかったのと、会社の備蓄品が支給されたり、少し経ったらお店でお茶などを買うことができたので、数日なら大丈夫そうかなーって感じに備えることは後から出来たんだけど、最初からちゃんとあれば良かったなと思って。保存水って期限が長いみたいなので、物流復活したら買い置きしようと思いました。

③食料の買い置き
「あってよかった」にゼリー飲料って書いたけど、それ以外の食料がなかったので、チキンラーメンとかアルファ米とかは用意しとくべきだなと思いました。ほんと、すごい勢いでお店から物がなくなったし、そもそもお店も開いてなかったり早く閉まったりで。
「なくて困った」には関係ないんだけど、発災直後からコンビニとかスーパーとかガソリンスタンドの店頭に立ってくれた店員さん、アルバイトやパートの方がかなり多かったと思うのに、ありがたかったです。

④現金
普段、電子マネーとクレジットカードで生きてるので(貯金できない原因…?)、お財布の中に現金いつもあんまりないんですけど、家にもなくて困った。発災直後に寄ったセブンイレブンはnanaco使えたので(超感謝)良かったんですけど、動いてるATMに行けるまで手持ちの現金ほんと1万円くらいだったので、ある程度タンス預金は必要だなと思いました。

あってよかった!助かった!もの

①嵐のコンサートのペンライト
↓実際の停電時の様子です。

これまでのコンサートのペンライト(というかグッズ全般)、まとめておいたのですが、懐中電灯が見つからず困った~どうしよう!って時にツイッターで見たのを奇跡的に思い出し、探して出しました。電池が切れていたものもあったのですが、いくつか点灯したので、非常に助かりました!!!
夜明けを待つ間に家でつけてたのは去年のuntitledコンのペンライトで、透明なところの光の広がり方が良いのかちょっとしたランタンくらいの明るさはあったと思います。ただこのライトはデカいので、外出する時は風景コンのやつを持ち歩いていました。駆け付けた職場でも大活躍しました。
untitledコンのは単4電池で、風景コンのはボタン電池(LR44)なんですが、物が一気になくなったコンビニやドラッグストアでもボタン電池は売れ残っていることが多かったので、ボタン電池のライトは持ってたら役立つなーと思いました。

②ゼリー飲料の買い置き
ジム行く時用にまとめて買ってあって、食べて→買い足して って回してたので、乾パンみたいないわゆる備蓄食料はなかったけど、数日なら持つ数はあったので少し安心できてよかった。ネットでもよく見る通り、普段からレトルト食品などを食べながら買い足すっていうのが良い回し方みたいですよね。賞味期限切れ問題も防げるし。このゼリー飲料はひどいカゼやインフルなどの際にも役立ったので続けていこうと思います。

③モバイルバッテリー
「数がいっぱいありすぎでは?」とたまに思ってたんですけど、役立ちました!特にこのAnker PowerCore 20100が3/4くらい充電されて置いてあったので「えっ…最高では…」って感じでした。このアンカーのバッテリーはグンマーの友達が「Amazonのセールで見つけたから防災用にこれ買った!」ってツイートしてたのを見て軽率に真似して買ったんですが、彼女には本当に感謝しています。
その他に旅行や出張用に使ってるAnker PowerCore 13000と、軽いので普段通勤やおでかけに持ち歩いてるAnker Astro E1 5200mAhがあったので、バッテリーだけはなんかいっぱいあるわ!(`・ω・´)って感じでした。アンカー信者みたいだけど。
職場の机の引き出しに、お付き合いのある会社にノベルティで貰った13000mAと、なんかZTEさんから貰った2500mAがあったので、後輩の女の子に貸してあげました。その子のお家は四人家族でモバイルバッテリーが2個しかなかったらしいので、持ってない人は持ってないんだなと思いました。日曜日(発災から4日目)ヨドバシ行ったらモバイルバッテリー全部品切れだった。

④ドライシャンプーと拭き取りクレンジングとさらさらパウダーシート
この三つは普段から常用していてストックもあったので妹に分けてあげたりしました。水もガスもあるのに停電の時にシャワーが使えなくて「ああそうなんだな」って気付いた。
ドライシャンプーはドラッグストアだといま品切れになっていることが多いですが、週末行ったパルコのラッシュには普通に売っていました。→LUSH ドライミー!
ラッシュ、気に食わないなーと思ったので大分前に使うのをやめたのですが、このドライシャンプーだけはシトラス系の香りでスッキリ最高なので仕方なくずっと愛用しています。これは本当におすすめ。使用期限も3年くらいある。
ふき取りクレンジングは大学生の頃から使ってるビオデルマ サンシビオH2O ティッシュやキッチンペーパーでもなんとか使えて顔がさっぱりするので良いです。朝はいつも化粧水で拭き取り洗顔なので、その化粧水もあってよかった。
ドライシャンプーの棚を見に行った時にドラッグストアで見掛けたんですけど、介護用品の中に「口腔ケアシート」っていう歯磨き用のウェットティッシュみたいなものが売っていたので、物流復活してきたら買っておこうかなって思いました。今回私はお水に困らなかったのでふつうに歯磨きしたけど、お友達でマンション停電→断水した方もいたので。

⑤しょっぱい缶詰
乾パンとかカロリーメイトとかって甘い物が多いので、ツナとかコンビーフとか鯖缶を食べたら「わーおいしい~食事した~」って感じがあってよかった。

⑥マルチビタミンのサプリ
発災から三日目くらいで妹が「肌荒れが…」って言ってたのでドラッグストア行った時に買ったんですが、やっぱ飲み始めたらちょっと体調がよくなった気がします。(その気になりやすいタイプ)
水がない時のためにグミタイプも良いなと思った。

仕事関係とそれに伴う所感のメモ

発災当日

・夜明けを待って自転車で出勤
・午前中は発発とか機器室のケアとかが中心で、夕方になって状況報告資料とか体制とかどこに誰がいるとかの確認したりした
・札幌に帰省していた東京勤務の社員さんが来てくれて超即戦力の方でありがたかった 私も旅先とかでこんな事態になったら出勤しようと思った
・街灯がないので女性は日没前に帰宅、遅くなっちゃって最後暗くなりかけてたんだけどマジで何も見えなくて怖かった
・訓練ではいつも班分けしてて役割があったけど、いざ自分らが被災してみると交通機関や家の状況で来られない人が半分くらいいたので、来られた人が自分の得意なことや出来る範囲の事を精一杯がんばる、みたいなことになった

発災から二日目

・異動前の4月までやってた仕事を引き受けたら全然わからなくなってて困ったしテンパった。異動までずっとお世話になってた本社の人達に電話で助けを求めたらみんな快く優しく協力してくれて泣きそうになった。
・去年の秋に、こういう時に役立つ自動ツールを作ろうって本社異動前に書き残してくれた神(入社以来ずっとお世話になっていた年下の先輩)がいたんだけど、それを引き継いで夏頃にちょうど「台風のシーズンの前にやっとこう」って他ツールのバージョンアップに対応させてマニュアル作っておいたら、めちゃくちゃ活躍した。神も夏頃の私もありがとう。
・今年の夏の訓練の時に「災害の時にやる作業」を書き出して、班のメンバーでコレできるできないって印つけてみたら、誰もできないことがひとつあったのでできる人に伝授してもらいマニュアルとツールの場所を記録しておきました。そしたらマジでそれを実際にやる羽目になったので、訓練はスキルの棚卸をする機会にするといいなと思った。
・そんなこんなでツールを使ってテンパりながらやった仕事は無事うまくいった。被害が大きかった地域の助けに少しでもなれてたらいいなって思った。
・仙台からフェリーに載った荷物の中にどら焼きとカステラが入っていてすごい人気で、おいしかった。あんこは心身の疲労に染み入る。

発災から三・四日目

・土日はお休みになったのでスーパーやドラッグストアへ行ったら物がなくて、だんだん現実のやばさに気が付いた。会社に行くと備蓄食料や非常用電源もあるからその間の自分の身は守られるけど、発災直後に自分のために動ける人がいないと、その後の生活がしんどいんだ。ってことを初めて知った。というか今まで訓練とか災害対応(主に台風だけど)とかって、自分はふつーに働いてて、北海道の別の場所を…って感じだったから、自分が被災してて、復旧業務やるの大変だと思った。
・しかしそもそも「自分が被災してて」っていうのも停電と物流だけだから、厚真や安平、札幌ももっとやばい場所もあるわけだからなんか言いづらいけどしんどいものはしんどい…っていう気持ちでつらい。しかも「つらい」って言うことも申し訳ないっていうか憚られる感じでつらかった。ここは私の日記帳なのでつらかったって書くことにしますね。

発災から五日目

・土日の間にパックごはんとレトルト食品が事務所に届き、ハヤシライスやカレーや親子丼が食べられるようになって食事が少し楽しみになった。昼と夜にみんなでごはん用意する時間が息抜きになった。
・二日目から来てくれてる東京の援軍が頑張ってくれてるので、地震前日の台風20号対応から連勤しっぱなしのメンバーがいったん休息をとり、二日目にもやった異動前の仕事を全部引き受けたらまたテンパった。現地に行ったうちの事務所でのNo.1職人おじさんが「あああ~このケーブルは~ダメだーーー!」って言い残して電話が切れたので、統制室にいやな沈黙が流れたんだけど、その2分後くらいに無事監視システムにあがってきて拍手だった。
・私みたいなデータものなんか割と誰でも代わりができるんだけど、職人おじさん達はすごい。そしてこの職人おじさん達がいなくなってしまった時に残るレガシー設備達や変な構成の設備を面倒見るのは、どうしたらいいんだろう。。。

発災から六日目

・少し落ち着いてきたのでうちの部のみんなで東区の拠点を片付けに行ったらやばいことになってて、普段私が勤務してる拠点は札駅周辺なんだけど、段違いのやばさだった。可動式の書類庫が床のレールから外れて壁にめりこんでた。もうどうにもできないから、落ちた中身だけ拾って(3時間かかった)、あとは壊す前提で業者さんに頼むことになった。壁にヒビも入り放題だし、先輩の家の近所の道路は陥没してるしで、東区やばかった。
・九州から来てくれた援軍の人が帰ることになったので、少しだけお酒を飲みに行った。ビールを飲んだとき、ほんとにおいしかった!

発災から七日目

・東京からの援軍が最終日で、収束してきたので、中華で慰労会をした。普段あんまり酔わないような人もべろべろしてて、みんな瓶ビールで「こんなことあったね」「やばかったね」って言いながら飲んで、楽しかった。特に二日目の夜あたりのみんな頭おかしくなった頃の変な行動とか、漢字が書けなくなった話とか、日常的に使う用語が出て来なくなった時のこととかが「あるある」で、みんな良い笑顔で笑ってて、部長が「俺、この地震のことずっと忘れないと思うわ」って言って、私もそうだろうなって思った。

その他 メモ

・聞いた話によるともう停電直後からコンビニ行ってる人がいたみたい。暗くてこわかったので出られませんでした。
・発災の後は結局眠れなかった。明るくなるまで家族ラインずっとしてた。ラジオで「札幌の日の出は5時4分です それまでもう少し頑張りましょう」みたいなこと何度も言っててその時間を待った。いつもは夜更かし中に「うっ外が明るい…寝るか…」みたいな感じでしか拝んでない朝日が嬉しかった。
・当日朝の出勤途中にコンビニに寄ったらもう殆どの商品がなくて、ボタン電池と野菜ジュース買えた。ボタン電池で動くライトはほんと持っててよかった。袋に入れてくれてるときに「こんな時にありがとうございます」って言ったら、店員さん嬉しそうにしてくれたから、言ってよかった!
・冬じゃなくてよかった。まじで。火事もたくさん発生したことだろうし、寒くて困ったと思う。
・停電した日の夜の話
NHKラジオからHBCに変えてみたら、つるの剛士がradiko経由で聴いていますってメッセージをラジオ局宛に送ってくれたみたいで、きっと嬉しかった人いただろうなーと思ったんですけど、アナウンサーが確か「星空を見上げてみて」みたいな彼のコメントを読み上げた直後に妹が窓を閉めに行ったので「早速つるの剛士のアドバイスを聞き入れたのかと思ったよ」って言って笑ったりとかした。ここにこうやって書いてみると全然おもしろい話じゃないんですけど、その時はほんとにおかしくてずっと笑ってたんですよね。
些細なことが面白かったり、ショックだったりしましたが、停電の夜ひとりじゃなくてほんとに良かったです。妹ありがとうな。
・今週に入って、たまに行く駅のおそば屋さんであったかいおそばを食べたり、いつもの居酒屋さんでお酒のんだりしました。普段から好きだったパンを見つけて嬉しかったり、スーパーで200mlの牛乳見かけて買ってみたり、ホットシェフおいしい~とかセブンイレブンでシュークリーム売ってる!とか、地震の前には何でもなかったことが今はすごいことだったり珍しいことなので、いちいち色んな事がうれしくて「やったー!!ありがとう!!!」ってなってます。きっと私のことだからしばらくするとこの気持ちを忘れて調子に乗ると思うけど、このところしばらくは色々感謝していきたい。

そんな感じで、発災から一週間経ちましたが、なんとかやってます。
地震や停電があったけど「この程度で被害とか言っていいのかな…」みたいに思ってしまう方もいらっしゃると思いますが、びっくりして怖かった気持ちや、いまも余震でドキドキしてしまう気持ちは、震度とか停電の長さとか関係なく受け止める個人によってさまざまだと思いますので、休める時に休んだり、節電中ではありますが好きなことをしたりして、ゆっくり頑張っていきましょう!

大きな被害に遭われた方にお見舞い申し上げます。不便を感じてる方に届けー!という気持ちで仕事を頑張りますので、少しでも早く安心できる生活が戻ってくるようにお祈りしています。

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